北大のいたるところに遺跡や遺物が埋まっている可能性が高い
北海道大学札幌キャンパスの地下に、いくつも遺跡が埋まっていることをご存じでしょうか。実際に北大の恵迪寮(けいてきりょう)周辺にはサケ・マスを捕獲するための大規模な漁労施設、そして大学の構内各所に集落跡が見つかっています。さらに、「北大式土器」や「刻書土器(こくしょどき)」、石器など大学構内で多数の遺物が出土しています。
今回の取材では、昔から人々に利用されている北大のキャンパスがある土地の『歴史』を調べてみました。大学構内を散策する時の参考にしていただければと思います。
“世界的に珍しい” 大学名がついている北大式土器とは?
それはこのタイプの土器が最初にまとまって発掘された地が、工学部の周辺だったからです。髙倉純助教は「大学名がついている土器は大変珍しい」といいます。
もちろん、このタイプの土器は北大以外でも見つかっています。その範囲は東北北部から北海道に及びます。
北大で出土した土器
上:ポプラ並木の東側で見つかった土器 下:現在のポプラ並木の東側(花木園)の様子
開口部の近くに沿ってある小さな穴は「突瘤文(とつりゅうもん)」といいます。これらの明けられた穴の深さは土器の厚さの半分ほどまでに達し、土器の内側にはふくらみが認められます。
開口部に沿って1ミリ程度のでっぱりがいくつもあることが分かります。これは「微隆起線文(びりゅうきせんもん)」といいます。多くは開口部に沿ってつけられるこの文様ですが、土器の胴の部分に斜め方向に走るようにつけられることもあるそうです。
これら以外にも縄文や沈線文、櫛描文(くしがきもん)――といったさまざまな文様があります。見ていて飽きないのでじっくり観察してみることをおすすめします。
実際、北海道は海と山の幸が豊富なので、当時の人々は狩猟採集を中心とした生活を営んでいました。土器の出土状況から当時の生活がうかがえるのは、非常に興味深い点です。
上:サークル会館地点から出土した土器 下:現在のサークル会館地点の様子
サケ・マスを捕獲する大型の定置漁具、刻書土器が出土
北大構内で見つかった刻書土器(こくしょどき)
文献史学者の佐伯有清氏は中国の古書に「夷」と異体字が土器に刻まれた文字に似ていると指摘していました。北海道の蝦夷(えみし)とされる「渡嶋蝦夷」が出羽国(現在の秋田県と山形県)の秋田城でもてなされたときに使われた、この杯を持ち帰ったという説です。
しかし、平川南氏は刻書土器(こくしょどき)の本質は神へ供物をささげる器に文字を刻んだとし、「奉」の略字ではないかと主張しています。仏典との関連を主張する学者もおり、いまだに議論が続いてます。
特に恵迪寮地点の定置漁具は全長約12メートルと大型で、トネリコとヤナギを加工して作られました。トネリコやヤナギは湿った環境を好む樹種なので、この漁具の建設予定地の近くに生えていたものが使われたと考えられます。
一方、エルムトンネルの地点にある擦文文化の頃の定置漁具は、ヤナギのみで出来ていました。この事実は作られた時代によって植生が変わったことを表しているのかもしれません。
上:恵迪寮地点で見つかった大型の定置漁具の杭と出土状況を伝える写真 下:定置漁具が見つかったエルムトンネル地点の現在の様子
【北大散策】定番の場所だけではない地下に眠る遺跡・遺物にも目を向けよう
左:人文・社会科学総合研究棟地点の地層の様子 右:現在の人文・社会科学総合研究棟地点の様子
北大散策ではクラーク博士の胸像や古川講堂、農学部本館など目立つものに目が奪われがちかもしれません。しかし、北大の歴史はそれだけではありません。地下に埋もれてしまった古(いにしえ)の人々の生活にも思いをはせることで、北大がある地の歴史の『重層性』をより感じることができるのではないでしょうか。
北海道大学埋蔵文化財調査センターの外観
“世界的に珍しい” 大学名がついている北大式土器とは?
北大で出土した土器
それはこのタイプの土器が最初にまとまって発掘された地が、工学部の周辺だったからです。髙倉純助教は「大学名がついている土器は大変珍しい」といいます。
もちろん、このタイプの土器は北大以外でも見つかっています。その範囲は東北北部から北海道に及びます。
上:ポプラ並木の東側で見つかった土器 下:現在のポプラ並木の東側(花木園)の様子
開口部の近くに沿ってある小さな穴は「突瘤文(とつりゅうもん)」といいます。これらの明けられた穴の深さは土器の厚さの半分ほどまでに達し、土器の内側にはふくらみが認められます。
開口部に沿って1ミリ程度のでっぱりがいくつもあることが分かります。これは「微隆起線文(びりゅうきせんもん)」といいます。多くは開口部に沿ってつけられるこの文様ですが、土器の胴の部分に斜め方向に走るようにつけられることもあるそうです。
これら以外にも縄文や沈線文、櫛描文(くしがきもん)――といったさまざまな文様があります。見ていて飽きないのでじっくり観察してみることをおすすめします。
上:サークル会館地点から出土した土器 下:現在のサークル会館地点の様子
実際、北海道は海と山の幸が豊富なので、当時の人々は狩猟採集を中心とした生活を営んでいました。土器の出土状況から当時の生活がうかがえるのは、非常に興味深い点です。
サケ・マスを捕獲する大型の定置漁具、刻書土器が出土
北大構内で見つかった刻書土器(こくしょどき)
文献史学者の佐伯有清氏は中国の古書に「夷」と異体字が土器に刻まれた文字に似ていると指摘していました。北海道の蝦夷(えみし)とされる「渡嶋蝦夷」が出羽国(現在の秋田県と山形県)の秋田城でもてなされたときに使われた、この杯を持ち帰ったという説です。
しかし、平川南氏は刻書土器(こくしょどき)の本質は神へ供物をささげる器に文字を刻んだとし、「奉」の略字ではないかと主張しています。仏典との関連を主張する学者もおり、いまだに議論が続いてます。
上:恵迪寮地点で見つかった大型の定置漁具の杭と出土状況を伝える写真 下:定置漁具が見つかったエルムトンネル地点の現在の様子
特に恵迪寮地点の定置漁具は全長約12メートルと大型で、トネリコとヤナギを加工して作られました。トネリコやヤナギは湿った環境を好む樹種なので、この漁具の建設予定地の近くに生えていたものが使われたと考えられます。
一方、エルムトンネルの地点にある擦文文化の頃の定置漁具は、ヤナギのみで出来ていました。この事実は作られた時代によって植生が変わったことを表しているのかもしれません。
【北大散策】定番の場所だけではない地下に眠る遺跡・遺物にも目を向けよう
左:人文・社会科学総合研究棟地点の地層の様子 右:現在の人文・社会科学総合研究棟地点の様子
北大散策ではクラーク博士の胸像や古川講堂、農学部本館など目立つものに目が奪われがちかもしれません。しかし、北大の歴史はそれだけではありません。地下に埋もれてしまった古(いにしえ)の人々の生活にも思いをはせることで、北大がある地の歴史の『重層性』をより感じることができるのではないでしょうか。
北海道大学埋蔵文化財調査センターの外観
野中直樹
学生ライター
数学を学ぶ北大生。グルメやグッズ、研究など北大のニュースならどんな話題でも取材します。