2023.11.17

ニュース / 札幌

北大法学部から“初”プロ野球選手に!西武がドラフト指名!宮澤太成選手に独自インタビュー


北大野球部時代の宮澤選手(北海道大学野球部提供)

北大生がプロ入りする、初めての快挙!
四国独立リーグの徳島インディゴソックス(以下徳島IS)所属の宮澤太成選手(北海道大学4年)が、10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズに5位指名されました。北海道大学では驚きや祝福の声であふれています。

偉業を成し遂げた宮澤さんはどのような野球選手なのか。
インタビューを進めてゆくと、宮澤さんの野球へのひたむきな気持ちがひしひしと伝わってきました。

宮澤選手にインタビュー 「プロになるんだなと実感が湧いてきました」

野球を始めたきっかけは?

 小学校低学年のころに、父と東京ドームの巨人戦を見に行ったのが初めて野球に興味を持ったきっかけです。その後の小学校4年生のときに自分も野球をしたいなと思い、地元の少年野球クラブに入り毎週末に活動しました。

 中学・高校時代について教えてください

 中学・高校時代は本当にずっと野球をしていました。オフの時も練習していました。
中学生の時はクラブチームに参加して、ポジションは外野手でした。ただ、みんなプロを目指していてレベルも非常に高く、レギュラーにはなれませんでした。

その後、長野高校に進学して野球部に所属しました。高校2年の時に部のピッチャーが故障して、それを機に肩が強い僕が投手をするようになりました。
小中学校時代は捕手や外野手していたので、投手は初めての経験でした。

ピッチャーをやり始めて、やっぱり野球が好きだなと思いました。中学時代は中々試合に出られなかったので野球に対する情熱が覚め気味でしたが、もう一度呼び覚ましてくれました。
ピッチャーにはそういう特別に惹かれるものがありました。

アマチュア時代の宮澤選手(徳島IS提供)


SASARUの取材を受ける宮澤選手

高校卒業後に北大に入学されました。簡単に入れる大学ではないと思うのですが、高校時代はかなり勉強されたのですか?

 高校の勉強には出来る範囲でついていこうとしましたが、部活が週6日ありましたので、ずっと野球をしていました(笑)
結局、浪人してしまったので、切り替えて1年間勉強に専念しました。

 浪人中も野球はしましたか?

 いいえ、しなかったです。本当に勉強しかしていませんでした。

なかなかの切り替え力ですね。それでしっかりと難関大に受かってしまうので本当にびっくりです!
幼少期から高校生の間まで長野で過ごしたようですが、なぜ北大を選んだのですか?

 北大の野球部は学生中心で活動しており、そこが魅力的だと思いました。
実際に僕についても、ピッチャーの練習メニューが監督から与えられたわけではなく、自分自身で創意工夫して取り組みました。

また、せっかく大学に入るのでしっかり勉強もしたいなという気持ちもあり、その環境がそろっている点も魅力だと感じました。


 大学での学びが野球に生きた場面はありましたか?

 私は大学で法律を学んでいたのですが、法律というものは非常に論理的に出来ているので、その思考法的なものは非常に学びになりました。
特に「三段論法」を使って、自分の問題を洗い出して論理的に問題を解決する力が付いたのかなと思います。

 例えば、「150キロ越えのストレートを投げたい」という目標があった場合は、まず投げられる体作りをしなくてはいけません。さらに、その体を作るには睡眠や食事などが必要不可欠です。
このように逆算して論理的な筋道を立て、日々の練習に取り組んできました。
宮澤太成選手 北海道大学 ドラフト 野球

北大野球部時代に試合でプレーする宮澤選手(北海道大学野球部提供)


提供:徳島IS

現在は徳島ISに所属していますが、なぜこのチームを選んだのですか?

 大学野球では4年間しか活動できないので、大学を留年した僕は最後の1年を北大で野球を続けることが出来なくなってしまいました。

また大学の単位については、4年生に進級する前までにほとんど取り終わっていましたので、野球を続けるため独立リーグの選手になることにしました。

数ある独立リーグのチームの中から徳島ISを選んだ理由ですが、昨年まで10年連続でプロ野球選手を輩出してきた強豪チームなので、自分の「プロになりたい」という夢に近づけるのではないかと思ったからです。

実際にチームメンバーには150キロ以上の直球を投げるだけでなく、変化球を得意とするレベルの高い投手が多いので、非常に刺激を受けています。
徳島ISで成長できたと感じる点を教えてください

 特に「勝負強さ」や「メンタルの強さ」が鍛えられ、非常に成長できたなと思っています。
プロになるにはスカウトに目をつけてもらわなくてはならないのですが、そのスカウトが実際に自分のピッチングを見るのはほんの数分ぐらいしかありません。

この徳島インディゴソックスでプレーした1年で、勝負の時に自分の力を出し切れる度胸がつき、良い結果になったのではと思います。


徳島ISに入団してフォークが得意になったとお聞きしました。変化球にはたくさん種類がありますが、なぜフォークだったのでしょうか?

 私は試合の中盤や終盤に試合を任せてもらえるような、中継ぎ投手になりたいなと思っていたので、この属性に近いプロ投手の決め球についていろいろと調べてみました。

すると多くの選手がフォークを得意としていたことが分かったので、モノにしたいなと思い練習しました。

提供:徳島IS


提供:徳島IS

10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズに5位指名されました。その時の感想を教えてください。

 やっぱり最初はびっくりしましたが数日たち、取材であったりスカウトの方と話したりして、「プロ野球選手になるんだな」という実感が湧いてきました。

 ただ、まだ西武ライオンズのユニフォームにそでを通していないので、その時に一番「西武ライオンズの一員になった」「プロ野球選手になった」という実感がするのではないかと考えています。


 今後の目標を教えてください

 まずは開幕一軍入りを目指しています。そして、将来的には勝利の方程式と呼ばれる試合の終盤の大事な場面を任せてもらえる中継ぎ投手になりたいなと考えています。


 北海道でもプレーしてみたいなと思いますか?

 今はまず、指名してもらった西武ライオンズで頑張りたいと思っています。
しかし、北海道は大学生時代を過ごした思い出の地でもあるので、エスコンフィールドでプレー出来たらいいなとも思っています。

北海道大学野球部 関係者のコメント

秋野禎木さん(監督)

北大出身で初めてプロ指名を受けたのは、やはり本人の努力だと思います。
北大野球部時代の練習の際も非常にまじめで、トレーニングや体作りのための栄養管理など、野球に対してストイックに向き合っていました。
北大野球部でプロを目指せることを示してくれた選手です。


大澤楽汰さん(現キャプテン・北大工学部3年

宮澤さんと一緒にプレーをしていたので、身近だった人がプロになったのはすごいなと感じました。練習の際もストイックに取り組んでいたので、隣で自分も負けないように頑張りました。

宮澤選手にインタビュー 「プロになるんだなと実感が湧いてきました」


アマチュア時代の宮澤選手(徳島IS提供)

野球を始めたきっかけは?

 小学校低学年のころに、父と東京ドームの巨人戦を見に行ったのが初めて野球に興味を持ったきっかけです。その後の小学校4年生のときに自分も野球をしたいなと思い、地元の少年野球クラブに入り毎週末に活動しました。

 中学・高校時代について教えてください

 中学・高校時代は本当にずっと野球をしていました。オフの時も練習していました。
中学生の時はクラブチームに参加して、ポジションは外野手でした。ただ、みんなプロを目指していてレベルも非常に高く、レギュラーにはなれませんでした。

その後、長野高校に進学して野球部に所属しました。高校2年の時に部のピッチャーが故障して、それを機に肩が強い僕が投手をするようになりました。
小中学校時代は捕手や外野手していたので、投手は初めての経験でした。

ピッチャーをやり始めて、やっぱり野球が好きだなと思いました。中学時代は中々試合に出られなかったので野球に対する情熱が覚め気味でしたが、もう一度呼び覚ましてくれました。
ピッチャーにはそういう特別に惹かれるものがありました。

SASARUの取材を受ける宮澤選手

高校卒業後に北大に入学されました。簡単に入れる大学ではないと思うのですが、高校時代はかなり勉強されたのですか?

 高校の勉強には出来る範囲でついていこうとしましたが、部活が週6日ありましたので、ずっと野球をしていました(笑)
結局、浪人してしまったので、切り替えて1年間勉強に専念しました。

 浪人中も野球はしましたか?

 いいえ、しなかったです。本当に勉強しかしていませんでした。

なかなかの切り替え力ですね。それでしっかりと難関大に受かってしまうので本当にびっくりです!
宮澤太成選手 北海道大学 ドラフト 野球

北大野球部時代に試合でプレーする宮澤選手(北海道大学野球部提供)

幼少期から高校生の間まで長野で過ごしたようですが、なぜ北大を選んだのですか?

 北大の野球部は学生中心で活動しており、そこが魅力的だと思いました。
実際に僕についても、ピッチャーの練習メニューが監督から与えられたわけではなく、自分自身で創意工夫して取り組みました。

また、せっかく大学に入るのでしっかり勉強もしたいなという気持ちもあり、その環境がそろっている点も魅力だと感じました。


 大学での学びが野球に生きた場面はありましたか?

 私は大学で法律を学んでいたのですが、法律というものは非常に論理的に出来ているので、その思考法的なものは非常に学びになりました。
特に「三段論法」を使って、自分の問題を洗い出して論理的に問題を解決する力が付いたのかなと思います。

 例えば、「150キロ越えのストレートを投げたい」という目標があった場合は、まず投げられる体作りをしなくてはいけません。さらに、その体を作るには睡眠や食事などが必要不可欠です。
このように逆算して論理的な筋道を立て、日々の練習に取り組んできました。

提供:徳島IS

現在は徳島ISに所属していますが、なぜこのチームを選んだのですか?

 大学野球では4年間しか活動できないので、大学を留年した僕は最後の1年を北大で野球を続けることが出来なくなってしまいました。

また大学の単位については、4年生に進級する前までにほとんど取り終わっていましたので、野球を続けるため独立リーグの選手になることにしました。

数ある独立リーグのチームの中から徳島ISを選んだ理由ですが、昨年まで10年連続でプロ野球選手を輩出してきた強豪チームなので、自分の「プロになりたい」という夢に近づけるのではないかと思ったからです。

実際にチームメンバーには150キロ以上の直球を投げるだけでなく、変化球を得意とするレベルの高い投手が多いので、非常に刺激を受けています。

提供:徳島IS

徳島ISで成長できたと感じる点を教えてください

 特に「勝負強さ」や「メンタルの強さ」が鍛えられ、非常に成長できたなと思っています。
プロになるにはスカウトに目をつけてもらわなくてはならないのですが、そのスカウトが実際に自分のピッチングを見るのはほんの数分ぐらいしかありません。

この徳島インディゴソックスでプレーした1年で、勝負の時に自分の力を出し切れる度胸がつき、良い結果になったのではと思います。


徳島ISに入団してフォークが得意になったとお聞きしました。変化球にはたくさん種類がありますが、なぜフォークだったのでしょうか?

 私は試合の中盤や終盤に試合を任せてもらえるような、中継ぎ投手になりたいなと思っていたので、この属性に近いプロ投手の決め球についていろいろと調べてみました。

すると多くの選手がフォークを得意としていたことが分かったので、モノにしたいなと思い練習しました。

提供:徳島IS

10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズに5位指名されました。その時の感想を教えてください。

 やっぱり最初はびっくりしましたが数日たち、取材であったりスカウトの方と話したりして、「プロ野球選手になるんだな」という実感が湧いてきました。

 ただ、まだ西武ライオンズのユニフォームにそでを通していないので、その時に一番「西武ライオンズの一員になった」「プロ野球選手になった」という実感がするのではないかと考えています。


 今後の目標を教えてください

 まずは開幕一軍入りを目指しています。そして、将来的には勝利の方程式と呼ばれる試合の終盤の大事な場面を任せてもらえる中継ぎ投手になりたいなと考えています。


 北海道でもプレーしてみたいなと思いますか?

 今はまず、指名してもらった西武ライオンズで頑張りたいと思っています。
しかし、北海道は大学生時代を過ごした思い出の地でもあるので、エスコンフィールドでプレー出来たらいいなとも思っています。

北海道大学野球部 関係者のコメント

秋野禎木さん(監督)

北大出身で初めてプロ指名を受けたのは、やはり本人の努力だと思います。
北大野球部時代の練習の際も非常にまじめで、トレーニングや体作りのための栄養管理など、野球に対してストイックに向き合っていました。
北大野球部でプロを目指せることを示してくれた選手です。


大澤楽汰さん(現キャプテン・北大工学部3年

宮澤さんと一緒にプレーをしていたので、身近だった人がプロになったのはすごいなと感じました。練習の際もストイックに取り組んでいたので、隣で自分も負けないように頑張りました。

野中直樹

学生ライター

数学を学ぶ北大生。グルメやグッズ、研究など北大のニュースならどんな話題でも取材します。

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