
年間旅客数2000万人超え。お盆期間には帰省や観光客で大混雑した新千歳空港。でも、なぜ「新」がつくの?空港で聞いてみると「確かに何で『新』ってついてるんだろう」「新しいから?」「『新大阪』みたいな…」「昔からそういうものなのでは?」と様々な答えが。最初から「新」がついていたのか。それとも「新」ではない千歳空港があったのか。徹底調査しました!
「新」ではない千歳空港は実在していた!
疑問を解き明かすために向かったのは空港のすぐ横、国土交通省、新千歳空港事務所。
新千歳空港はなぜ新とついているのか、さっそく聞いてみると…。
「もともと航空自衛隊の千歳飛行場に民間機が乗り入れていて、そこを千歳空港と呼んでいました」と、東京航空局新千歳空港事務所の太田信博さん。
新千歳空港はなぜ新とついているのか、さっそく聞いてみると…。
「もともと航空自衛隊の千歳飛行場に民間機が乗り入れていて、そこを千歳空港と呼んでいました」と、東京航空局新千歳空港事務所の太田信博さん。


「新」ではない「千歳空港」は実在していたんです。
そこは航空自衛隊と民間機が一つの滑走路を共有していた空港。
しかし、航空需要の高まりから自衛隊と民間を分離する必要が生じ、新たに作られた空港こそ「新千歳空港」と命名されたのです。
そこは航空自衛隊と民間機が一つの滑走路を共有していた空港。
しかし、航空需要の高まりから自衛隊と民間を分離する必要が生じ、新たに作られた空港こそ「新千歳空港」と命名されたのです。
1963年、ターミナルビルの完成をきっかけに、千歳空港という呼び名が誕生しました。
しかし、その場所にある施設の正式名称はいまも昔も「千歳飛行場」のままなんです。
しかし、その場所にある施設の正式名称はいまも昔も「千歳飛行場」のままなんです。


太田さんによると「札幌の丘珠空港も陸上自衛隊が管理している、札幌飛行場に民間機が乗り入れている空港。俗称として丘珠空港と呼んでいます」とのこと。
丘珠空港も正式名称は「札幌飛行場」だったんですね!
丘珠空港も正式名称は「札幌飛行場」だったんですね!
「飛行機が見たいから」飛行場を作った?
千歳と空港を巡る不思議な歴史。
現在の南千歳駅こそ、当時の千歳空港駅。そこからターミナルへと延びる長い連絡歩道橋が千歳空港名物でした。
千歳空港という名前は消えましたが、千歳飛行場はいまも自衛隊の基地の中に残っています。
現在の南千歳駅こそ、当時の千歳空港駅。そこからターミナルへと延びる長い連絡歩道橋が千歳空港名物でした。
千歳空港という名前は消えましたが、千歳飛行場はいまも自衛隊の基地の中に残っています。


しかし、なぜこの場所に昔から飛行場があったのか。新たな疑問を追って向かったのは、詳しい方がいるという千歳市役所。
なぜ千歳飛行場があの場所にできたのか聞いてみると「飛行機が見たいからというのが、一番簡単な理由」と千歳市企画部の中村充さん。
なぜ千歳飛行場があの場所にできたのか聞いてみると「飛行機が見たいからというのが、一番簡単な理由」と千歳市企画部の中村充さん。
中村さんによると「一番最初に飛行機が千歳上空に飛ぶ機会があった。それなら近くで見たいとなり、着陸場がないから住民でつくった」とのこと。
1926年、当時の小樽新聞社が汽車に乗って千歳で観楓会を計画しました。その際、食事を提供する村人へのお礼として、飛行機を飛ばすと約束。
村民総出で、二日間かけて着陸場を作り上げたのです。
1926年、当時の小樽新聞社が汽車に乗って千歳で観楓会を計画しました。その際、食事を提供する村人へのお礼として、飛行機を飛ばすと約束。
村民総出で、二日間かけて着陸場を作り上げたのです。


当時は草地だった場所を村人たちが即席の着陸場に整備。
それが現在の航空自衛隊、千歳基地内の千歳飛行場の元となりました。
ここから始まった千歳と空港の長い歴史。2026年で100年をむかえることから、記念イベントも計画されています。
それが現在の航空自衛隊、千歳基地内の千歳飛行場の元となりました。
ここから始まった千歳と空港の長い歴史。2026年で100年をむかえることから、記念イベントも計画されています。
千歳と空港の歩みを見守る喫茶店
最後に向かったのは、千歳と空港の歩みを長く見守ってきた一軒の喫茶店。その場所には空港とともに刻まれた時間が流れていました。
まだ千歳空港と呼ばれていた昭和49年(1974年)に開店。そのお店の名前にも、空港との深い由来が隠されていました。
まだ千歳空港と呼ばれていた昭和49年(1974年)に開店。そのお店の名前にも、空港との深い由来が隠されていました。


「純喫茶でいこうと思って、東亜国内航空の東亜の文字をもらって店名にしようと」と、東亜珈琲館の鈴木英範さん。
国内地方路線を担った航空会社でのちに日本エアシステム(JAS)となった「東亜国内航空」から名前をもらったのだそう。
国内地方路線を担った航空会社でのちに日本エアシステム(JAS)となった「東亜国内航空」から名前をもらったのだそう。
すると、関係者の方が来て下さるようになり、お店で支店長会議をしてくれたこともあったのだとか。
「先々月『CAをやっていました』という方が寄ってくれた。昔話に花が咲いて」と鈴木さん。
「先々月『CAをやっていました』という方が寄ってくれた。昔話に花が咲いて」と鈴木さん。


1988年まで存在していた千歳空港。その姿は消えても、マスターの心にいまも鮮やかな思い出が刻まれています。
みんテレ8月21日OAのものです。
(上記の情報は記事作成時点でのものです。
最新の情報は各店舗・施設にお問い合わせください)
みんテレ8月21日OAのものです。
(上記の情報は記事作成時点でのものです。
最新の情報は各店舗・施設にお問い合わせください)
「新」ではない千歳空港は実在していた!

疑問を解き明かすために向かったのは空港のすぐ横、国土交通省、新千歳空港事務所。
新千歳空港はなぜ新とついているのか、さっそく聞いてみると…。
「もともと航空自衛隊の千歳飛行場に民間機が乗り入れていて、そこを千歳空港と呼んでいました」と、東京航空局新千歳空港事務所の太田信博さん。
新千歳空港はなぜ新とついているのか、さっそく聞いてみると…。
「もともと航空自衛隊の千歳飛行場に民間機が乗り入れていて、そこを千歳空港と呼んでいました」と、東京航空局新千歳空港事務所の太田信博さん。

「新」ではない「千歳空港」は実在していたんです。
そこは航空自衛隊と民間機が一つの滑走路を共有していた空港。
しかし、航空需要の高まりから自衛隊と民間を分離する必要が生じ、新たに作られた空港こそ「新千歳空港」と命名されたのです。
そこは航空自衛隊と民間機が一つの滑走路を共有していた空港。
しかし、航空需要の高まりから自衛隊と民間を分離する必要が生じ、新たに作られた空港こそ「新千歳空港」と命名されたのです。

1963年、ターミナルビルの完成をきっかけに、千歳空港という呼び名が誕生しました。
しかし、その場所にある施設の正式名称はいまも昔も「千歳飛行場」のままなんです。
しかし、その場所にある施設の正式名称はいまも昔も「千歳飛行場」のままなんです。

太田さんによると「札幌の丘珠空港も陸上自衛隊が管理している、札幌飛行場に民間機が乗り入れている空港。俗称として丘珠空港と呼んでいます」とのこと。
丘珠空港も正式名称は「札幌飛行場」だったんですね!
丘珠空港も正式名称は「札幌飛行場」だったんですね!
「飛行機が見たいから」飛行場を作った?

千歳と空港を巡る不思議な歴史。
現在の南千歳駅こそ、当時の千歳空港駅。そこからターミナルへと延びる長い連絡歩道橋が千歳空港名物でした。
千歳空港という名前は消えましたが、千歳飛行場はいまも自衛隊の基地の中に残っています。
現在の南千歳駅こそ、当時の千歳空港駅。そこからターミナルへと延びる長い連絡歩道橋が千歳空港名物でした。
千歳空港という名前は消えましたが、千歳飛行場はいまも自衛隊の基地の中に残っています。

しかし、なぜこの場所に昔から飛行場があったのか。新たな疑問を追って向かったのは、詳しい方がいるという千歳市役所。
なぜ千歳飛行場があの場所にできたのか聞いてみると「飛行機が見たいからというのが、一番簡単な理由」と千歳市企画部の中村充さん。
なぜ千歳飛行場があの場所にできたのか聞いてみると「飛行機が見たいからというのが、一番簡単な理由」と千歳市企画部の中村充さん。

中村さんによると「一番最初に飛行機が千歳上空に飛ぶ機会があった。それなら近くで見たいとなり、着陸場がないから住民でつくった」とのこと。
1926年、当時の小樽新聞社が汽車に乗って千歳で観楓会を計画しました。その際、食事を提供する村人へのお礼として、飛行機を飛ばすと約束。
村民総出で、二日間かけて着陸場を作り上げたのです。
1926年、当時の小樽新聞社が汽車に乗って千歳で観楓会を計画しました。その際、食事を提供する村人へのお礼として、飛行機を飛ばすと約束。
村民総出で、二日間かけて着陸場を作り上げたのです。

当時は草地だった場所を村人たちが即席の着陸場に整備。
それが現在の航空自衛隊、千歳基地内の千歳飛行場の元となりました。
ここから始まった千歳と空港の長い歴史。2026年で100年をむかえることから、記念イベントも計画されています。
それが現在の航空自衛隊、千歳基地内の千歳飛行場の元となりました。
ここから始まった千歳と空港の長い歴史。2026年で100年をむかえることから、記念イベントも計画されています。
千歳と空港の歩みを見守る喫茶店

最後に向かったのは、千歳と空港の歩みを長く見守ってきた一軒の喫茶店。その場所には空港とともに刻まれた時間が流れていました。
まだ千歳空港と呼ばれていた昭和49年(1974年)に開店。そのお店の名前にも、空港との深い由来が隠されていました。
まだ千歳空港と呼ばれていた昭和49年(1974年)に開店。そのお店の名前にも、空港との深い由来が隠されていました。

「純喫茶でいこうと思って、東亜国内航空の東亜の文字をもらって店名にしようと」と、東亜珈琲館の鈴木英範さん。
国内地方路線を担った航空会社でのちに日本エアシステム(JAS)となった「東亜国内航空」から名前をもらったのだそう。
国内地方路線を担った航空会社でのちに日本エアシステム(JAS)となった「東亜国内航空」から名前をもらったのだそう。

すると、関係者の方が来て下さるようになり、お店で支店長会議をしてくれたこともあったのだとか。
「先々月『CAをやっていました』という方が寄ってくれた。昔話に花が咲いて」と鈴木さん。
「先々月『CAをやっていました』という方が寄ってくれた。昔話に花が咲いて」と鈴木さん。

1988年まで存在していた千歳空港。その姿は消えても、マスターの心にいまも鮮やかな思い出が刻まれています。
みんテレ8月21日OAのものです。
(上記の情報は記事作成時点でのものです。
最新の情報は各店舗・施設にお問い合わせください)
みんテレ8月21日OAのものです。
(上記の情報は記事作成時点でのものです。
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