2023.9.30

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「小樽運河」今年で"100周年"かんこうのシンボルは大賑わい…埋めるか残すか論争って知ってる?

北海道小樽市のシンボル「小樽運河」。

今年で竣工100周年を迎え、9月16日には「小樽運河100年プロジェクト」が本格的に始まりました。

「小樽運河100年プロジェクト」本格スタート

北海道内随一の観光都市、小樽。

全長1140mの小樽運河には散策路が整備され、多くの観光客が行き交います。
小樽運河が完成したのは、1923年12月27日。

今年でちょうど100年を迎えます。

9月16日には「小樽運河100年プロジェクト」が本格的にスタート。

12月27日までの間、運河周辺では様々なイベントが実施されます。

市民が守った小樽運河

小樽は、明治時代から北海道と本州を結ぶ海運物流の拠点として発展しました。

小樽運河は積荷の運搬を効率よく行うために整備され、1923年に完成しました。

運河沿いには石づくりの倉庫が立ち並び、昭和初期に最盛期を迎えます。
しかし、その繁栄も永久には続きません。

戦後になると小樽港の埠頭が整備され、物流拠点としての役割は低下。

運河には、朽ち果てた船が放置されました。
そして1966年には、車社会の到来もあり、運河を埋め立てて幹線道路を建設する計画が決まりました。
小樽市内で新聞販売店を営む中一夫さんは、「小樽運河を守る会」の一人として、その計画に真っ向から反対しました。

中さんは、「ヘドロがいっぱいで汚れていたが、故郷の母親を思い起こさせるような思いやりに溢れた空間のように僕らは感じていた」と話します。
10年以上続いた論争で運河の全面保存を訴えましたが、最終的に「半分を埋め立て、半分を残す」という折衷案で、1986年に現在の姿になりました。
「きれいな運河はできたけれど、目指していたものではないし、埋め立てられた運河がふびんでならなくて、なかなか運河に足を運ぶことができなかった」と中さん。

生まれ変わった運河を好きになれなかったといいます。
しかし、次第にその意識に変化が芽生えました。

小樽の街に観光爆発が起き、多くの観光客が喜んでいる姿をみて、それまでのわだかまりが少しずつ和らいでいったんだそう。

今や運河は小樽に人を引き寄せる一番の観光資源です。

運河の"これから"を担う若者

西将旦さんは、小樽運河から徒歩3分のレンタサイクルと軽食の店で働いています。
運河にほど近い地域で生まれ育った西さんは、コロナ禍で誰もいなくなった運河の姿を見て、本当にショックだったと話します。
そこで西さんは、小樽を何とか盛り上げたいと、町のイベントに率先して参加するようになり、今回の「小樽運河100年プロジェクト」にも運営スタッフとして携わっています。
「これからの運河を動かしていくのは小樽の若者だと思うし、当時(保存に)携わっていた人たちも小樽の若者だったと思う」と西さん。

信念の強さを受け継ぎ、一生懸命つないでいきたいと話します。
市民の思いが紡いできた小樽運河は、今年で100歳。

いつの時代も運河とともに歩んでいきます。

*みんテレ9月18日OAのものです

「小樽運河100年プロジェクト」本格スタート

北海道内随一の観光都市、小樽。

全長1140mの小樽運河には散策路が整備され、多くの観光客が行き交います。
小樽運河が完成したのは、1923年12月27日。

今年でちょうど100年を迎えます。

9月16日には「小樽運河100年プロジェクト」が本格的にスタート。

12月27日までの間、運河周辺では様々なイベントが実施されます。

市民が守った小樽運河

小樽は、明治時代から北海道と本州を結ぶ海運物流の拠点として発展しました。

小樽運河は積荷の運搬を効率よく行うために整備され、1923年に完成しました。

運河沿いには石づくりの倉庫が立ち並び、昭和初期に最盛期を迎えます。
しかし、その繁栄も永久には続きません。

戦後になると小樽港の埠頭が整備され、物流拠点としての役割は低下。

運河には、朽ち果てた船が放置されました。
そして1966年には、車社会の到来もあり、運河を埋め立てて幹線道路を建設する計画が決まりました。
小樽市内で新聞販売店を営む中一夫さんは、「小樽運河を守る会」の一人として、その計画に真っ向から反対しました。

中さんは、「ヘドロがいっぱいで汚れていたが、故郷の母親を思い起こさせるような思いやりに溢れた空間のように僕らは感じていた」と話します。
10年以上続いた論争で運河の全面保存を訴えましたが、最終的に「半分を埋め立て、半分を残す」という折衷案で、1986年に現在の姿になりました。
「きれいな運河はできたけれど、目指していたものではないし、埋め立てられた運河がふびんでならなくて、なかなか運河に足を運ぶことができなかった」と中さん。

生まれ変わった運河を好きになれなかったといいます。
しかし、次第にその意識に変化が芽生えました。

小樽の街に観光爆発が起き、多くの観光客が喜んでいる姿をみて、それまでのわだかまりが少しずつ和らいでいったんだそう。

今や運河は小樽に人を引き寄せる一番の観光資源です。

運河の"これから"を担う若者

西将旦さんは、小樽運河から徒歩3分のレンタサイクルと軽食の店で働いています。
運河にほど近い地域で生まれ育った西さんは、コロナ禍で誰もいなくなった運河の姿を見て、本当にショックだったと話します。
そこで西さんは、小樽を何とか盛り上げたいと、町のイベントに率先して参加するようになり、今回の「小樽運河100年プロジェクト」にも運営スタッフとして携わっています。
「これからの運河を動かしていくのは小樽の若者だと思うし、当時(保存に)携わっていた人たちも小樽の若者だったと思う」と西さん。

信念の強さを受け継ぎ、一生懸命つないでいきたいと話します。
市民の思いが紡いできた小樽運河は、今年で100歳。

いつの時代も運河とともに歩んでいきます。

*みんテレ9月18日OAのものです

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